歴史
戦前、日本人街があったバンクーバーのパウエルストリートの名前を取ってつけられたパウエル祭、今では、カナダ最大の日系人の夏祭りとなっていま す。このパウエル祭は、2006年に30周年記念を迎え、相撲トーナメント、空手や合気道のデモンストレーション、日本舞踊、琴・尺八演奏そして和太鼓の パフォーマンスと日本文化をカナダ人に紹介するイベントの一つとして大いに賑わいを見せています。その中でも日系人、移住者そして日本から英語を勉強に来 ている学生やワーキングホリデーの若者にも人気があったのが日本的な屋台であり、そして日本人の祭りには欠かせない御神輿でした。
現在、パウエル祭や他のカナダのフェスティバルで見かける御神輿は、バンクーバー神輿の会「楽一」が管理運営しています。
祭りには御神輿が欠かせないと有志がパウエル祭に樽神輿を繰り出したのがバンクーバーにおける御神輿の始まりと言われていますがこの樽神輿、 酒樽を担ぎ棒にくくり付け、ささやかな飾りを施したお粗末なものであったと聞いています。
現在、パウエル祭などで見る本格的な御神輿は、1985年「日本交通文化協会」から寄贈いただいたものです。なぜ「日本交通文化協会」がバンクー バーに御神輿を寄贈したのか?それは、現在「楽一」の頭をつとめている山本実を中心にバンクーバー在住の神輿好きの若者が協会にお願いしたためで、その熱 意が協会を動かしたと言えます。またもう一つの要因は、1986年にバンクーバーで開催された世界万博「交通博」があったためとも思われます。
日本交通文化協会から寄贈され、バンクーバーに空輸された御神輿は、地元の非営利事業団体、ICAS:The Pacific Rim Inter Cultural Action Society (環太平洋文化交流協会)が引き受け手となり、その後、バンクーバー御神輿保存会が結成されました。この組織は、ICASの下部組織として活動しカナダ社 会に日本の祭り文化に欠かせない御神輿を紹介しました。
1986年には、カナダ交通博のジャパンデーのイベントで多くの国々の子供達がメインステージで御神輿を担ぎ喝采をあびたのが御神輿のデビューとし て印象に残っていますが、その他にもいろいろなイベントに参加しました。しかし日本文化の象徴とも言える御神輿が、ICASの事務局長の交代をきっかけに 下部組織であったバンクーバー御神輿保存会とICAS理事会との間に亀裂が生じ御神輿を本当に好きなメンバーの多くが集団で御神輿保存会を脱会すると言う 出来事がありました。
主要なメンバーを失った御神輿保存会は、その後の活動が続かなくなり休止状態となりました。
2002年このまま御神輿が埋もれてしまうのを憂いたICASは、理事会を開き御神輿の今後のあり方を検討した結果、ICAS理事長が以前、御神輿 保存会を運営し脱会した元有志数人と話合いを持ち御神輿の管理運営を委託することになりました。ICASから正式に御神輿を任された御神輿保存会の元有志 は、同じ年に山本実を頭にバンクーバー神輿の会「楽一」を結成した。バンクーバーで神輿が好きな神輿野郎が再度御神輿の運営に関わったのは、神輿保存会脱 会後3年目の出来事です。
バンクーバー神輿の会「楽一」は、老朽化した神輿の修理を行い主要メンバーが新しく「楽一」の半纏をつくり積極的にカナダ社会に日本の祭りの象徴「御神輿」を紹介いています。
2003年7月1日カナダデーには、スチィーブストンで開催されるサーモンフェスティバルに参加。パウエル祭とあわせてその後、毎年いろいろなイベントに参加し、カナダ社会に日本の文化を紹介しています。
日系人になじみ深い漁師町スチィーブストンのサーモンフェスティバルのパレードは、100を超える団体が毎年参加し全長1.6キロメートルの行程を 行進します。その中でお揃いのコスチュームに身を包み「セイヤー、セイヤー」のかけ声も勇ましく100人を超える神輿野郎が御神輿を担ぎ練り歩く姿は圧巻 です。
1985年に寄贈され御神輿は、すでに25年も経過し、かなり老朽化が目立つことからバンクーバー神輿の会「楽一」では、バンクーバーで新しい御神 輿を造る活動を開始しました。バンクーバー在住の宮大工など多くの人々の協力を得、すでに神輿の外観は完成しています。今後、御神輿の飾りを日本へ注文す るためにファンドレージングキャンペーンを企画し、バンクーバー生まれの御神輿の完成を目指しています。
2009年、バンクーバー神輿の会「楽一」に、日本で“獅子舞”と呼ばれている日本のライオンダンスに使用する“獅子”が寄贈されました。獅子舞は、日本の祭りや新年の行事に行なわれています。日本の獅子は、木を素材に、塗料された獅子頭と緑の染料を施した布に白の模様を入れた特色のある胴体で出来ています。獅子は、一人立 あるいは二人立で行なわれます。獅子舞は、獅子の動作や演技を一致させる為に、いつも笛、太鼓、そして鉦の楽器の音楽に合わせて踊ります。「楽一」に獅子が寄贈された際に、「楽一」の催しに合体させることに決め、獅子舞の伴奏をどのようにするかを「楽一」の実行委員の数名で練習しています。演奏者のための舞台として建てられたパレードの移動車は「山車」と呼ばれ、「神輿」の後で人々に曳かれます。